Jun.7, 2022
我が家の西のベランダから北の方を見ると再度山から摩耶山そして六甲山が見えている
思い出写真
ヨットで単独無寄港の太平洋横断に世界最高齢で成功した海洋冒険家堀江謙一さん(83)=兵庫県芦屋市=は、ゴールに設定していた紀伊水道から迎えの船にロープでえい航され4日夕、拠点にしている新西宮ヨットハーバー(同県西宮市)に到着した。20年以上にわたり堀江さんの活動をサポートする西宮市の船舶用電子機器メーカー古野電気は、今回も衛星利用測位システム(GPS)機器や衛星電話の提供などで偉業を支えた。
魚群探知機や船舶レーダー、GPSなど海に関わる技術を持つ同社。堀江さんとは20年以上の交流があり、2004~05年の東回り単独無寄港世界一周、波の力で進む波浪推進船を使った08年のハワイ-紀伊水道間の単独航海などで協力した。
今回は、19年ごろに堀江さんから打診を受け、意見交換をしながら装備機材を決めていった。本人の意向で、ディスプレーやGPSなど、電子機器は必要最小限に。風向や風速を測る機器は、堀江さんが「それはいらない。肌で分かる」と判断して搭載しなかったという。
併せて、GPSで取得した船の現在地などを衛星通信を介して発信できる「トラッキング装置」も提供。堀江さんのヨットの緯度や経度、進路、船速などの情報をウェブ上の地図に示す特設サイトを開設した。17年から外洋レースに挑む船に提供してきたサービスを活用したという。
トラッキング装置の搭載に、堀江さんは「どこにいるかをみんなに分かってもらえるのはいいね」と話していたという。
母校は兵庫県立伊丹高等学校
わたしは1940年昭和15年生まれ。小学校は福岡市のすの子小学校、中学は西南学院中学部、高校は福岡中央高等学校から兵庫県立伊丹高等学校に転校してそこを卒業、京都の同志社大学へと進んだ。九州福岡から関西へ引っ越ししたので伊丹高校へ転入学したがそこでわたしはクラリネットを覚え、それでもって音楽の世界を知り、大学卒業後もそうした世界を目指したが結局テレビの世界に飛び込んだ。高校の頃、ブラスバンド部で熱中したが、硬式野球部があるなんて聞いたことがなかったが、神戸新聞に時節柄こんな記事があった。
挑戦は全国最長の108年目を迎えた。だがまだ一度も目標には届かない。1915(大正4)年に「全国中等学校優勝野球大会」として産声を上げた高校野球の夏の全国大会に、1回目の県予選から参加している兵庫県立伊丹高校だ。8強、4強と近づいてもそこからが遠い。校舎火災の影響で途中棄権する不運な年もあった。知らないのは夏だけでなく、春のセンバツも。悲願を追い求める野球部の、ある話。
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夏の甲子園大会本番を思わせるような暑さが、兵庫県を覆った5月29日。兵庫県伊丹市にある県伊丹高グラウンドに、木製バットの打球音が響いた。ノックを繰り出すのは監督の内藤祐司教諭(39)。同市で育ち、2001年に同校を卒業したOB監督だ。
今年、学校も野球部も120周年を迎えた。内藤監督自身、母校に赴任して10年目の節目。現チームは昨年秋に16強入りを果たし、初戦で敗れたとはいえ今春も150を超える中から37チームのみが進む県大会に出場した。夏までに力を蓄え、何とか後輩たちを全国へ-。指導は、自然と熱を帯びる。
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甲子園。全国あまたの高校が出場を望む聖地だが、県伊丹高にとってはあまりに遠い場所だ。「それぞれの世代に選手がいて、負ければ泣いて終わる。その年数が一番長いのがうちなんです」。内藤監督がしみじみと語る背景には、120年の部史が横たわる。
創部から他の伝統校と並んで、関西の大会などで活躍した前身の旧伊丹中。まだ甲子園が全国大会の会場ではなかった夏の兵庫大会の第1回出場校は、伊丹中を含めて7校だった。うち現存するのは、今の神戸高校や兵庫高校、関西学院高等部、県立神戸商業高校、そして県伊丹高の5校。神戸、関学は全国制覇さえ経験したが、翻って県伊丹高だけはいまだ全国出場がない